シンセン和僑会メールマガジン登録フォーム

お名前 メールアドレス

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏 2008/03/08

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★シンセン和僑会 第16回シンセン和僑会★

『海外出張60ヶ国300回社長の再起業成功のエール

~華南で起業されている方々へ~』 3月8日(土)

──────────────────────────

『海外出張60ヶ国300回社長の再起業成功のエール~華南で起業されている方々へ~』

MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

──────────────────────────

60年代にアフリカ出張して以来アメリカ駐在も含み60ヶ国300回以上の海外出張を経験された年商10億円の商社経営MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏をお迎えしました。

今回学べる事は・・・

●55歳で再起業でもできる年商10億円の商社経営に成功の秘訣。

●自分のビジネス差別化の視点

●普通の人の判断、成功する人の判断の違い

●成功社長が見た華南・香港の未来とこれからのビジネス創出術

──────────────────────────

武田社長のオフィスでまず驚いたのは、そのオフィスです。

 

日航香港ホテルの正面ビルに構えられたオフィスでは奥様が丁寧に迎え入れてくださいます。ご子息もいらっしゃり家族でむつまじく経営なされています。

 

ビジネスの差別化も面白く、『市場の1/10の価格で人気商品を売ったら売れるだろう』というものです。

 

ゼロからの開発では、アイデアと開発に時間が非常にかかります。当たり外れも多くあり、ある意味ではロスとも言えるものです。

 

武田社長は、コストパフォーマンスを行うことで、そのロスを完全になくしてしまいました。

 

第15回深セン和僑会 三恵有限公司 会長 西口元三氏

第15回深セン和僑会 三恵有限公司 会長 西口元三氏 2008/01/19

開催日時: 2008年1月19日(土)
議題: 「華南の中小製造業を見つめて29年・・・ビジネスと自分史」
講師: 三恵有限公司 会長 西口元三氏
開催場所: 羅湖爵士大厦
記載者: 深セン和僑会事務局  関 敏
出席者数: 60名

30年以上現地で貿易、電線類の販売

個人的な話をする

電線(巻き線)の技術屋からコマーシャル、商売に移った。

1930年の1月69歳になる。 名古屋で学業、住友電気工業、電線の技術を勉強した 1968年29歳のときに1人でインドのハイデラバードで技術指導にいった。 当時は何もなく、日本の新聞も日本食も、日本人自体いない。日本人に会うために 1時間、2時間かけてボンベイやニューデリーにいかないといけなかった。 住友電気で8ヶ月かけてやった。インド人のど真ん中でやった。 それが海外での仕事の第一歩になった

太平洋電線会社、台北やタイにいった。シンガポールで自前の工場を作るときに工場長として赴任。日本に帰る命令がきた、上司がアメリカ好きで私がアジアの話をすると嫌がる。 帰任して、3分で辞めた。 すぐには辞めさせたくない、上司がいや、1979年に香港で香港人と会社とはじめた。 当時で言うと、香港はイギリスの植民地だったから、自由に行き来ができ、何でも仕事ができるので、香港にした 1997年に深センに駐在事務所を作った。事業は許可がおりなかったが、2,007年に事業許可ができた。2001年に上海、2004年にバンコックに会社設立

MYP 西口、ようさん、ぷんさんの持ち合い会社で始めた。3分の一ずつではじめた

香港は37人の社員がいます。 日本人1名(西口さん)8年前に初めて日本人を採用した。倉庫を持っている。在庫をおさめる、集金する。14名が配送関係、深センが実際の営業拠点。現在は独立会社、35名いて、嘉里中心 日本人2名、香港6名、上海が24名 バンコック、天津に販売会社を作った3名、

合計で105名の人員がいる。香港人は仕事をする上では役に立つが、人間的にはあわない。香港にいる日本人奥様、香港大好きが7~8割、ファッション、食事がおしゃれなどの理由。、嫌いが30%、中間はない。 4~5名しか香港人は役に立っている。けんかはしないがほとんど無視をしている。私が極端に中国びいき。香港人は中国人をみくだす。おるだけでよいというようにしている。

アグネスチャンが子供が偉そうにしている。たいした学も知識もないのに偉そうに自己主張をする。そういった独断と偏見に満ちている。そこを割り引いて聞いていただきたい。

去年の実績、140億円ぐらい。上海は50%ずつぐらいの勢いで伸びている。現在は中国は、青島や天津をやるらしい。すごい勢いを感じている。

お手元の資料は29年間、製造業にお世話になりながら、体験をそれこそ断片的に話をすると、ホンコンは金属関係をささえてきた。どうしても小さな仕事、ぷらすっちくの整形、偽物、上海からやってきた人は繊維。

広東省、プラスティックの成型とか金物を始める。さんちゃん工業(父、母、息子)、、それらのところに一間だけの工場をやっている。 そういうところにラジカセ用のモーターさん、いずれにせよホンコンで出来るのは、小さなもの、テレビなんかはできない。春日精機さんなんかがラジカセを作ったりしていた

1978年に中国の市場開放、工場進出の機運になった。(ここで西口さんは会社を辞めた)

ラジカセ(サウンドデザイン社)、協力工場でものを作る。部品を作っておられる。三協精機さんはラジカセの磁気セットを作った。ユニデンさんは携帯のない時代に電話機、部品や素材を日本で作っていた、コードから始まり、ホンコンで作るものはケースだけ。 そういうところに材料をおさめる。30人ぐらいの工場になっていた。 ヘアドライあーは部品点数が10点もなかった。ほとんど日本の品物であった。バイヤーはユダヤ人。貿易LCを見せてもらって、納品する。 当時私の商売の80%は日本。お客様の90%はホンコンの会社。1980年の前半。ニクスという言葉があり、タイ・シンガポール、どんどん日本に入ってくるが、故障がすぐおこり、すぐに駄目になった。 ユニデンさんのシェアが大きかった。ユニデンさんにおさめれば他の会社は自動的にOK。ユニデンが100円で買えば、他は120~130円で売れる。Sメガさんとか売っていた。 工場はホンコンだった。30名。それでも十分儲かる。 その当時、香港人で流行った言葉は「ホンコンドリーム」、起業してから3年以内にロレックスを腕につけベンツにのること。昔の大半はベンツは製造業の人がのっていた。 (今もホンコンの10%はベンツ)

その頃、ローインターナショナル。私どもと一緒の仕事をしていた。その当時でもホンコンドリームとは言わなかった。ちゃんとやれば仕事は回っていく。 日本料理屋にはいけなかった。衛生テレビもなかった。高級クラブはたくさんあった。 私達は、遊ばなくてよかった。ゴルフ場も1箇所か2箇所しかなかった。遊べないから、仕事だけしていればよかった。仕事のついでにマージャンだけはしていた。

このあたりから中国に関連をしてきます。 当時は、ホンコンはイギリス領土、三田工業さん、ヨーロッパ向けのものをつくった、そこで複写機を作っていた。複写機もアッセンブル。26社をお連れになった。そのうち、ホンコンに進出された方、信濃検地、三田さんのお仕事では採算があわない。20%ぐらい。 ものをおさめる、100%をつくる、現地で作らないといけない、小さなメーカーがたくさん、ホンコンに来た、コンデンサーとか、色々な部品がたくさん来た。 中小の方どんどん来た。事業としては30~50人になった。 素材がそろったからどの複写機メーカーがでてきた。キャノンやリコーなどが大挙してやってきた。三田さんは倒産、イギリスでもなかった。住友も恵州などに大工場をつくった。セットメーカーも移ってきた。30名では駄目。100人へノウハウがない。 そこで川副さんの出番。手伝ってくださった。 100人~300人ならワンフロアーで仕事ができる。宝安もある。政府のある工場もある。 大体ワンフロアー、300人ぐらいの規模の工場があるのがこの時代。 ヤオハンの和田さんも来てずっこけたと言う歴史がある。 300人ぐらいの工場になると、注文がどんどん入ってくるようになった。 そうすると300人じゃとまらない。今から10年ぐらい前になる。一挙に超えて1000人とか3000人になる。日本でいうとスバル、3000~4000名、、テクノグループは10000人、仕事が集まってくるからやらざるおえない。ハーネスでやってきた信越、今は1400人ぐらい。とにかく実力がついて、どんどん来ている。ハーネス、日本に持ってくるやつ、

上海がたくさん。華東地区、ダイキンやHP、ゼロックスなどのセットメーカーが多くて部品メーカーがなかった。全部華南から運んでいった。それぞれの量が少ない。どんどん大きくなるかもしれない。30人から300人と大きくなると予測している。南の地区がどんどんシフトをしている

営業マンのほうは全然少ない。量が少ないと値引き攻勢がない。量が大きいと値引きもある。 さて、お仕事で儲けていただく。 生のデータ。

販売実績。去年の1月~1月。華南地区での販売、日系,欧米、中国系が3文のいちづつ、 上海地区は中国系が70%、日系が20%、それ以外とわかれている。 お手元の資料の第4冊、三角債(いってもお金を払ってくれない)四角債 日系は1、欧米は2もうかり、中国系は3で儲かる。 絶対的にいえるのは日系に収めていないと信用されない。どういう仕事でも品質、管理。 でも日系会社は、品質監査を無料でやってくる。非日系のところで、もってきた。意識的にやってもいい。でも中国系はリスクはある。プリンターのHP・・・ 仕事でいうと、そういう会社で作っていると、アメリカとの関係で作らないといけない。

上海で商工会のデータ トヨタ 4200名の工場のほとんどが27歳の男子。男子の労働力はいくらでもあまっている。人が足りなくなるのがこれからの課題。

チャイナプラスワン、男子は増えているから心配 いい品物をとにかく作らないといけない。値段におされてそういうことをされた いい品物は高く売る。ソニーが安く売ったらソニーではない。

お米は30倍。いいものは高く売る。高いと大事に使う。不良をつくったらいけない 納期に間に合わない。ロスがプラスになるかもしれない いい材料で高く売るのはお客さんのためになる。金型一つでも不良が減る。 一時の判断ではない。安売りをしてはいけない。 まぶち、いがらし・・・直流モーター、110個(よい自動車)、50~60個のモーターにしている。 ホンコンのじょんそんのモーター(欧米系)、アメリカのGM、フォードはサンモーターが作っている。 起業をはじめられる動機は、親会社の撤退や倒産。もう一つは中小企業、、300人、3000人、、大きくなった、息子を送り込んだ。10年でどいて事業をはじめる。このままでは物足りないということではじめる。こういうことをはじめる 自分で始める、お金は儲けたい。住友より大きくしたい。この地に住んで稼ぐ 正々堂々と金を儲ける。と考えたほうがいい。 お勧めの本「現代中国」という本を読んでいただいたほうがいい。 愛知県の愛知大学で出している本は参考になる。

鉄道の旅をしている。

 

第15回深セン和僑会 三恵有限公司 西口元三氏

第15回深セン和僑会 三恵有限公司 西口元三氏 2008/01/19

「「華南の中小製造業を見つめて29年・・・ビジネスと自分史」

 

【講師】

西口元三

三恵有限公司

 

【略歴】

1968年 インドハイデラバードへ長期電線技術指導

1969年 台湾台北で電線技術指導

1971年 タイバンコックで電線技術指導

1974年 シンガポール電線会社へ赴任

1978年 日本へ帰任 住友電器工業退社

1979年 香港で三恵有限公司設立

1997年 深セン駐在員事務所開設

1999年 「香港ビジネス20年」発刊

2001年 上海に独立会社設立

2004年 バンコックに駐在員事務所開設

2007年 深セン及び天津独立会社設立

2007年 アメリカに連絡事務所開設

2009年 「中国ビジネス30年」上梓予定