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第17回深セン和僑会 株式会社J&G HRアドバイザリー代表取締役社長: 篠崎 正芳 氏

第17回深セン和僑会株式会社J&G HRアドバイザリー代表取締役社長:篠崎正芳氏 2008/04/12

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★シンセン和僑会 第17回シンセン和僑会のお知らせ★

『世界を股に大活躍!人事組織コンサルの超プロが激白!

4度の転職で見つけた天職~独立という名の情熱~』 4月12日(土)

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ヒトの問題は、社長も管理職も一般社員も悩みのタネです。

 

どうすれば社員が“やる気”になるんだろう?

どうすれば部下は育つんだろう?

どうすれば、この会社は変わるんだろう?

 

そんな悶々、あなたは抱えていませんか!?

そこで登場するのが今回の講師

株式会社J&G HRアドバイザリー

代表取締役社長:篠崎正芳氏 です!

 

彼は当日、インドから直接シンセン入りします。月の半分以上は中国・インド・ベトナム・タイなど世界の現場を駆け巡っています。当然「世界で通用する人材」「世界で通用する制度」を知り尽くしてます。

 

そんな世界の現場を知る男が、今日は人事問題の解決手法のみならず和僑会だけに特別っ!

“グローバルコンサルタントの誕生秘話”

まで一挙公開!

 

世界各地で講演実績が山ほどある篠崎氏がここまで素顔をさらけ出すのは初めてです!!ヒトの問題で悩んでいる人、組織の不条理に凹んでいる人、これからのキャリア形成に不安な人、

目から鱗のメッセージがここにあります!!!

このシンセン和僑会のためだけに開いてくれる一回だけの“プラチナセミナー”!!

 

皆様、是非奮ってご参加ください!!!

 

株式会社J&G HRアドバイザリー

代表取締役社長:篠崎正芳氏

 

今回の講師は、日系企業における人事組織マネジメントのグローバル化、現地支援の第一人者で、アジアを中心に世界各国の日系企業での支援実績を持つ数少ない日本人グローバルコンサルタントである株式会社J&G HRアドバイザリー代表取締役社長:篠崎正芳氏をお呼びいたします。

 

この講演で主に学べる事は・・・

自力型のキャリア形成に必要なこと

何をやりたいか、へのこだわりの大切さ

自己改革は、要は、「自然体で生きる」ということ

わかりやすい言葉でわかりやすく話す大切さ

中国で人・組織・ビジネスをマネージする秘訣・・・など

 

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【篠崎氏 略歴】

◆富士銀行、外務省在外公館派遣員(在豪州日本国大使館)、全日本空輸、日本能率協会コンサルティング、マーサーヒューマンリソースコンサルティングを経て独立。

◆海外各国および日本でのセミナー、寄稿、講演実績も多数あり

◆著作として「取締役イノベーション」(共著)、「戦略人材マネジメント実践Q&A」(共著)、「中国進出企業の人材活用と人事戦略」(共著)など。

◆本社のグローバル経営戦略と連動させ、主に海外の「現場」での改善、改革を支援。結果、「現場が変わる」ことに強いコミットメントを有する

◆マーサー社においてはグローバル人事戦略コンサルティング代表および日本法人の取締役を歴任。他にも報酬制度、業績管理制度、組織開発、コンピタンシーモデル設計、シニアマネジメント層、幹部社員のアセスメント、コーチング、トレーニング、役員改革などにも豊富な経験を有する

◆マーサー時代は全世界の日系企業支援がメイン。独立後は中国、ベトナム、インドを中心に活動中。

 

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏 2008/03/08

開催日時: 2008年3月08日(土) 議題: 「60カ国300回社長の起業成功のエール」 講師: MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏 開催場所: 羅湖爵士大厦 記載者: 深セン和僑会事務局  関 敏 出席者数: 70名 議  事 講師紹介

MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

【略歴】 60年代にアフリカ出張して以来アメリカ駐在も含み60ヶ国300回以上の海外出張を経験し、現在は年商10億円の商社経営MGBマーケティングLtd.を経営。

MGBマーケティングという会社を経営。 資本金6000万円、年商10億円ぐらい、取り扱い商品、プレミアム商品、弱電商品、菓子玩具フィガーアイテム

香港、深セン、にんぽう、南京、本社は7名でやっている

話をするきっかけ、香港和僑会でお酒が回って話をしたら誇大に捉えられて、是非やってほしい。 発端になって、固辞をしたんですが、深セン・香港ですごい社長、先生が話されるのに、私なんかが思いましたが・・・時間が来てしまったので話をします。

友達に英語学院がいる、何のために話をしているのか、聞いたら家庭の環境もあるということ。 そうじゃない、英語は人生を支える大きなツールになる。小冊子を書きました。それが1年前に書いた。

大学を卒業した。就職試験を受けた。学生時代は、当時、生活費は18000円ぐらいかかって、10000円仕送りがあった。サラリーマンであるの親が仕送りしてくれた。その残りはバーテンダーの仕事をして稼いでいた。飲み屋というかクラブですので、中小企業の社長が「頑張れ」と声をかけられた。卒業して就職試験を受けた

学生時代がそんなものだから、中々受からなかった。2月まで就職課にいった。輸出商社があった。そこを受けにいった。30名程度の小さな商社。新卒でうちの会社にきたのはあなただけ、「いつから来てくれ」 「何ができるか聞かないんですか?」 「新卒で来てくれたから」と言われ、渡りの船だったので引き受けた。

何も分からずに見習いをはじめた。30名といっても優秀な社員は当時いて、一体何をしたら目立つか?と言うことを考えて動いた。一つだけ出来る。と朝早くいく。でもどうしても2番目。8時にいったら7時45分、7時45分にいったら7時30分とどうしても2番手。じゃー何か、テーブルを掃除することは出来る。みんなの机を掃除した。9時に全社員が来る頃が綺麗になっていた。新入社員の生活を送る。そうこうしているうちに1年ほど経ち、社長からお呼びがかかり「英語が出来るだろう」とたずねられ、「出来ます」と答えたら、「アフリカに行ってくれないか?」と命令された。社長も心配だったら、当時海外だったらどこでもいいと2つ返事で引き受けた。それでアフリカ出張を引き受けた。

(アフリカの写真を見ながら)ザンビアにいきその国の海岸で撮った写真 写っているラジカセも輸出していたりした。アフリカで仕事をしてよかったこと悪かったこと寂しかった、色々考えたらあるのですが、ものを売る。どうやって売ったかということ。DHLもない。持てるだけの当時、チャイナと一緒で安かろう悪かろうの時代で、夏に蚊帳とか色々なものであった。ヨーロッパやアメリカで30数年前、日本の支店をそのまま作って、販売網もなかった。誰か興味があったら売っていいよ。当然あんた売っていいよ。儲けるだけ儲けたらとなった。バイヤーリストもなくどうやってやったかというと、小さな国だから、1年坊主は考えて、メインストリートを歩きまわっていた。そうすると看板の大きなところがある。そこに飛び込んで商談をした。当時はファックスも携帯もなかった。テレックスしかなかった。日本には、テレックスで3時か4時に電話する旨を伝え、社長の支持を受けた。アフリカでは30歳までやった。

サンヨー電器さんもいらっしゃるみたいですが、リベリアの大きな看板の会社があり、社長らしき人と話をした。うちは大きな会社だから強い電気メーカーの輸入をして売りたいと話をした。なぜかサンヨー電器さんの名前が出て、全然コネも何もないのだが、やった。5000万円ぐらいLCを開くからやってくれないか?あわてて社長に電話したら、社長がかけあって、鳥取工場に1年坊主が帰国してそのバイヤーと話をした。半年アフリカ行って、半年日本に帰ってきた。当時、そこに日本人にいなかったのでかなり辛かった。船などきたらあつかましく船に乗り込み、日本の食糧をあつかましくお邪魔した。昼飯代もことかく有様だった。1件か2件店をやり、昼飯食べたりした。独身だったのでガールハントをしたりした。

大阪半年、アフリカ半年だと贅沢になり、「私は一体何をしているのか?」という心境になってきた。福岡の両親に電話して、「結婚したい」寂しくなった。お見合いでもいいから、紹介してくれといって、何枚か写真を送ってもらった。そしてダブルヘッダーなどでお見合いをして今の家内と結婚した。

結婚して40日ぐらいでアフリカ。さすがに新婚生活だったので、涙のお茶漬けを食べ、そういうことでずっと仕事は仕事で続けてきた。

今度30歳になって、子供が1歳になって電卓が出回るようになった。この電卓は当時は非常に革命的だった。中にICが入っていた。これが技術レボリューション。人類史上でこれは革命的だということがわかった。それを証明するのに、最初は10万円ぐらいした。3ヶ月したら半分で5万円、3ヶ月で半分。その3ヶ月したら1万円をきりポケットに入るようになった。前向きに会社を退社して、私は30歳で独立して、企業した。動機はこの電卓は面白い。この商売でいけるのではないか?となった。

それではじめた。起業して1年ぐらいは上手くいく。その当時は必死でやるのでうまくいく。100万円家にあった。90万円くれ。それをもってヨーロッパで電卓を売りにいった。国と国が接近しているので2カ国ぐらいは回った。ホテル代を節約していた。3ヶ月したら1万円になる。あちこち回って、頑張った。納期がないときには、伊勢や三重があった、何カートンかあった。社外で箱詰めをして説明書をいれ、エアで飛ばした。それぐらい頑張った。それぐらい頑張ると儲かる。32歳ぐらいが絶頂期、家を建てて、カードで女房にモノを買った上げたりした。絶頂期を向かえ、 皆さんは私の真似をしないでください。そうすれば成功する

そえモン町のクラブで知らないところはない。と私は遊びに夢中。電卓がよかったので、電卓からキャッシュレジスター、今はPCという流れに気づかず、会社はかげりを深め、最後は37歳で破産をした。私の撒いた種。会社は倒産したら、友人とか人脈は裏切る。其の視線に耐えられなり、家を売って、東京に引越しをした。当時車の運転ができず、東京まで女房に運転した。女房には「会社をたたんだ」ということをせず、東京のほうがよさそうといった。 おそらく気づいていた。

小さな事務所で、ごちゃごちゃとはじめた。そのときの心境は、30歳のときはじめて、100万円、数千万円の損。今50万円あるといって、じゃー50万円の損なんだなといって、ごちょごちょとはじめたが、そー人生は甘くない。苦しみもがいていた。2ヶ月電話がなり、大阪の◎◎社長。大阪で活躍していたのに何で東京にいったんだ。といわれ、事情を話したら「上手く言っているのか?」といわれ、「曖昧にいった」らヨーロッパの家具をうりにきている。これあんたヨーロッパに売りにいってくれないか?と言われ、ヨーロッパに売りにいった。

ものを買うにはお金が話がある。お金がないんですけど、売ったら代金は回収できるんだろう?LCがあるので2週間ある。2週間で払ってくれればいい。一日で売ればいい。送金したいといったら、お金を支払いをすませにいった。東京で事業はどうだとまた聞かれた。そのときは白状したら、うちのところこい。と言われた。貿易部長の肩書きがもらった。 あんたさんが好きなところもらってくれればいい。適当な場所をつくってあんた自分でやってくれ。となり輸出で味をしめた。2ヶ月ぐらい。商品は安かったので売れた。メーカーでも何でもないので、そう簡単に売れない。商品も売れずに悩んだ。

国内の商社。200名のバックがいる。輸入する。それを国内で販売。韓国、台湾。毎週のように言った。色々なものを輸入して、200名のバックを背にして、順調に業績が伸びた。入社3年目で役員で絶好調で7年目で岐路が来た。

「私も大体わかった」と社長に言われ、「一つの事業部をやってくれないか?」それは考えた。今まではすべて接点は外人だった。接点の実感がわかなかった。会社の人事は厳正だったのでやりました。壁があり、テーブルの足をけられるぐらい。業績が悪かった。怒られて辛くなった。そして辞表を出した。

社長は役員にして、会社を立派にしよう。 海外がどうだということ、事業部の仕事は辛い、私は浅はかだった。

会社は辞めるということはありうるでしょ。 会社を独立したい。というのはあるが、社長に怒られるからといって、辞めるのはよくない。たぶん将来の幹部にしたかったのに、

浪人をして友達と麻雀をしたりしたりして、人生がそう簡単に開けない。 麻雀をしていた友達にもういっぺん会いに言ったらどうや。 あそこは海外の人材をいない。仕事があるかどうか聞いてみろと言われた。

家に帰ったら、明日のご飯にも欠く 社長に会いにいった。 社長は「何しに着たんだ」と剣幕だったら、 会長がいない「アメリカが会社の話」 社長は「人材がいない」 だったらいいじゃないか? とアメリカにいかしてもらった。平社員。当時400名の社員で一番下。

明日のご飯が食べられない。家族のちらちらきた 応接室で土下座をした。 わしらはいいが、社員が動かない。 心を入れ替えます。明日から頑張ります。平社員の武田です。

アメリカの生活は勉強した。日本ともアジアとも違い。 ただしアメリカの仕事はあまり成功しなかった。 1年目に家族と女房を呼んだ。ドライブなどしていた サラリーマンは女房経由で子供に色々話をしてもらった。あまり仲がよくなかった。

日本で女房経由だったが、アメリカでは家族3年目で夕方5時でステーキも作ってくれるということなので、家族は仲良くなった。 ただし仕事はあまり上手くいかなかった。 仕事が上手くいかなかったからプライベートはよくなった。人生は裏表。 日本で帰って、1年、私だけ平社員。肩書きない。国内の商社は独特のシステム。営業部は朝礼・夕礼があった。ホームセンターに物を売っていた。部長以外はすべて営業成績している一点1万円の利益、何点・・・5点といった。コンピューターに利益はでてくる。週ごとに目標達成したらぴかぴか光る。 いつもゼロ。段々高額品、技術品。雑貨なんかの輸出はない。韓国・台湾はない。 来る日も来る日もゼロ後進。20代の人に冷たい人にみられた。 だけど辞めなかった。

だけど不思議なもの。 アメリカから紹介してもらった会社の香港の商品を輸入した。全社で10億円の利益。そのとき5億円の利益。 香港は何か儲かりそう。香港のチケットをもらった。これが約15年前

当時、中国は汚い。トイレは気が遠くなる。中国中回ってきた 本社の人は香港どまり。カラオケと日航ホテル。私は汚い仕事を受け持ち、彼らは日本で綺麗な仕事。 7年間やった。

段々華ひらいてきた。もう流れは中国。うちに中国人が10人いる。 深セン、上海に支店を開いた。 タケちゃん帰ってきて。 1年間ゼロ行進、55歳で日本に帰って事業部は辛い。 MGグループで香港で何しようとしているのや。何をするのか分からない。 何をするのか分からない。と悩みを打ち明けたら、 今更サラリーマンになれないだろう。と60万㌦、40万㌦で出し合って会社を出した 女房と武田社長二人でやった。 何をやろうか悩んだ。55歳で年齢も上がっている。 世の中、日本で色々なもの売られて、ハイテクは無理、1000円なら1000円、2000円なら2000円という雑貨の商品ならできる。 色々なロフト、そこらをぐるぐるぐるぐる回ってサンプルを買って、中国で10文の一で出来ないか?と全部真似ないで少しだけとやった。お客様はつかなかった。 そうこうしているうちにオーダーが来るようになり、今こうしている。

主題は 短気は起さないように、サラリーマンのうちに準備。 計画を持って辞めてほしい

サラリーマンが社長(オーナー)に出来ないこと、辞表を出せる。 計画を持って会社をやって欲しいと思う。 私の運命副題が必ずある。ある会社の社長が入社しないか?と声をかけた アメリカ、家族と仲良くなれた。アメリカの少ない人脈で5億円設けることができた。 今度香港を辞めた。また辞めた。60万㌦出すからやったらどうだ。と言われた。 言うことでやった。MGBの社長。60%と株を買い取った。全部返済をしたことになる。 今の会社をやっている最中。この会社が上手くいくかはわからない。 最後に申し上げたいことは、 もはやブランドは通用しない。 今年の新入社員「何をもって会社を選んでいるか」 社風、現場の対応、成長したいことができる 2年前、やりたいことをやるのが独立 30数年前に会社に入った、友達にも会社の名前。企業の知名度と規模が低くていえなかった。 今年の大学生のアンケートはラストになった。一番、 自分の気に入らないので、一番マッチングできる。今の大学生と同じになっている。

名刺フォルダーを3冊作ってくれ。 お客さまよう 2冊目は業界の名刺。 どこでどう助けてもらえるかわからない 3番目は、小さめでいいのでプライベート。プライベートの人脈。企業するのに、ビジネスでやるので、引退したら、何でビジネスをやっているか? この瞬間に、ビジネスの話をして「友達になれる」 魚釣りの話をしても中々友達にならない。ビジネスで話が開いて人脈が広がる。 ビジネスは比較的難しくない。天道よしみなどの演歌歌手、バイオリニスト、宮里愛の ゴルフ、一生やってもなれない。僕が保証します。 カラオケ、五木ヒロシは越えられない。そのぐらい一生懸命やっている。 テレビで演歌歌手の歌、涙が出る。そういうレベルになれないなら、せめてビジネスは一生懸命にならない。 ビジネスは言葉を変えると恋愛。50名、60名惚れたらいい。恋愛中に惚れたらいい。夕方電話したり、次の日曜日、努力するでしょ?仕入先やお客様に努力する。ちょっと儲かるから、評価してくれているかわからない。恋愛をしないといけない。何人の携帯電話を書いているかわからない。日頃付き合いのある人、ほとんど書かない。。。1年間削除すればいい。無くしたら駄目。若い方にとって、名刺ホルダーは1億円、携帯電話は2億円。レストラン関係、お客様の顔を覚える、握手までしたら・・・ またお待ちしています。こうやったらまたお客様も呼ばれる。 深センで頑張っていられるということでお話をうける。 深センチケットは売り切れる。限られた入場券の前のほうの席を持っている。 大変生意気ですがエールを送りたい

 

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

第16回深セン和僑会 MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏 2008/03/08

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★シンセン和僑会 第16回シンセン和僑会★

『海外出張60ヶ国300回社長の再起業成功のエール

~華南で起業されている方々へ~』 3月8日(土)

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『海外出張60ヶ国300回社長の再起業成功のエール~華南で起業されている方々へ~』

MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏

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60年代にアフリカ出張して以来アメリカ駐在も含み60ヶ国300回以上の海外出張を経験された年商10億円の商社経営MGBマーケティングLtd.代表取締役:武田頼弘 氏をお迎えしました。

今回学べる事は・・・

●55歳で再起業でもできる年商10億円の商社経営に成功の秘訣。

●自分のビジネス差別化の視点

●普通の人の判断、成功する人の判断の違い

●成功社長が見た華南・香港の未来とこれからのビジネス創出術

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武田社長のオフィスでまず驚いたのは、そのオフィスです。

 

日航香港ホテルの正面ビルに構えられたオフィスでは奥様が丁寧に迎え入れてくださいます。ご子息もいらっしゃり家族でむつまじく経営なされています。

 

ビジネスの差別化も面白く、『市場の1/10の価格で人気商品を売ったら売れるだろう』というものです。

 

ゼロからの開発では、アイデアと開発に時間が非常にかかります。当たり外れも多くあり、ある意味ではロスとも言えるものです。

 

武田社長は、コストパフォーマンスを行うことで、そのロスを完全になくしてしまいました。